考えること

考えることを忘れている人が多い。といっても、本人に自覚は無いと思われる。
テレビをつける。ラジオをつける。ネットの記事を読む。
その情報を元に「考える」ことをしている人は、どれぐらいいるのだろう。
以前にも書いたが、現在、メディアは危険な存在になりつつある。先の戦争中のドイツ、カルト教団、独裁者など、使い方次第で「洗脳」になってしまう。それが今流している情報は、ほとんどが加工されたものだ。加工するもの(あえて「人」と書かない)は、識者であったり、専門家、政治家、知識人、教養人、キャスター、果ては会社、政府、その他の団体など、羅列すればきりが無い。



事実に対して、自分なりの感想を、メディアで述べる。


現在これがいかに危険であるか。



聞いた人の多くが、鵜呑みにしてしまう。情報なのか、想定なのか、想像なのか、妄想なのか、判断することなく、鵜呑みにしてしまう。



情報を精査しよう。事実のみを記憶に残そう。厳然たる事実のみを「情報」としよう。情報を取り出して、自分の頭で考えよう。でなければ、「裁判員」になったとき、どうするのだ。



場の流れや雰囲気で、死刑にもなるし、無罪にもなる。
そんな世の中が、あってたまるか。
雰囲気や見た目の判断など、不要のはずではないのか。



インフルエンザで何をすればいいのか、そのことだけを強調して報道するメディアがないことに、不快感を覚える。
「政府の対応が…」「医療機関が…」「いつ収束するんでしょうか…」
意味があるのか?
今必要なのは「我々はどうしたらいいのか」ということ。
これから先にどうなるのか。
そんなもの、予測したって、解決にはならないと思ったのは、私だけか。