シリアス

僕は、公についての話は好きではない。
自分が右とか左とかそんなことはこれまで考えたこともなかったし、考えるのも嫌だった。外で食事をしていても、周りに座った人々が公の話をし始めると、なるべくその話に入っていかないようにしている。これはなぜか。
僕が食事をするところは大抵が種々雑多な人間達の集まるところである。お互いに立場があり、守らなければいけないことがあり、それに基づいて様々な会話が飛び交う。その中で絶対的に正しいことを絞り込めることなど、きわめて稀なことだと感じるからである。それは己が属する国家であったり、組織であったり、コミュニティーであったり、家庭であったり、もっと言うなら「個人」という極めて独善的な立場によるものである。
控えめな日本人の美徳傾向を比較的持たなかった僕は、常々公での発言を控えるように努力している。それによって思いもよらない人を傷つけてしまうことも多いが故である。公において僕が放つ発言は、大抵自らの考えを封印していることが多い。
ただ、「知る」努力はしている。様々な情報を精査し、真実を見極め、己の考えとし、また情報を求めるという繰り返しにより、考えを確固たるものにするという努力である。精査する情報の中には、その時点での自分の意見に対して反対意見も含まれる。これもまた当然のことである。
ニュートラル、即ち「中立」であること、それが僕のポリシーであり、座右の銘とも呼べるかもしれない。
しかし、僕もまた「個人」という独善的な立場に置かれている一人の人間であり、自己中心的に自らの考えを吐露したくなるときもある。僕を知る人たちならわかるだろうが、この年で悟りなどひらけるはずもない。特にこの場所には、様々な思い入れがある。ここでこのようなことを言うのはいささか抵抗がある。しかし、自分にとってもっとも公に近い場所であるからこそ、僕はここに少しばかり自分の考えを述べようと思い、少しだけ今の自分の思いを綴ることにした。

メディアとは、何か。
インターネットもまた巨大なメディアである。それがもたらした影響は非常に大きい。絶対的な距離を凌駕し、情報があふれるようになった。革新的なことだ。
だが、「情報」は、強力な武器になり得る。情報が武器になる瞬間、それは確実に誰かを傷つけ、思いもよらないやりかたで、誰かの人生すら狂わせてしまうこともある。それは主に情報を見た第三者によって行われる。
情報を精査してほしい。メディアを鵜呑みにしないでほしい。現状の考えに疑問をもってほしい。何度も再考してほしい。「こうだ」と決め付けないでほしい。絶対的な価値観など、現状で存在することはほとんどないことに気づいてほしい。他人と討論するのでなく、自分ひとりで考えてほしい。情報という武器をふりかざして人を傷つけないでほしい。
「絶対的言論の自由
誇るべきことだが、同時に危険極まりないことでもある。言う側が絶対的に自由であるということは、受け取る側も情報を精査することが必然である。考えてみてほしい。どんな信頼できる大資本のメディアであっても、それらのほとんどは独善的な個人の主観によって運営されている。与えられる情報を限りなく鵜呑みにしつづければ、メディアを握っている者に自らを左右されてしまう危険がある。果たしてそれが健全な状態と呼べるだろうか。
今、自分が思い込んでいるすべての考えを、もう一度精査してほしい。
真実は、ひとつしかない。

僕の意見に関して意見を述べてくれるのは結構。だが、この場で特定の情報をふりかざしての討論は望むところではない。純粋にこのこと以外の情報が見え隠れした場合、コメントは削除させていただく。あらかじめ、おことわりしておく。
乱文はご容赦いただきたい。